大判例

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東京地方裁判所 昭和61年(刑わ)2356号 判決

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、いわゆる中核派に所属するものであるが、昭和六一年九月一日未明、埼玉県、兵庫県及び大阪府下等で日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)の分割・民営化問題を巡り同派と運動方針を異にするいわゆる真国労の組合幹部やその家族らが同派に所属すると思われる者により鉄パイプ等で襲撃され、一名が死亡し、八名が重軽傷を負わされたとの事件が新聞紙上等で広く報道されていたところ、さらに、同組合に所属する国鉄職員を脅迫してその公務の執行を妨害しようと企て、Aと共謀のうえ、同月九日午後五時二〇分ころ、東京都台東区上野七丁目一番一号同鉄道上野しのばず改札口において、乗降客に対する改札業務に従事中の国鉄職員甲野一郎(当時二七歳)に対し、右Aにおいて右甲野が同組合に所属していることを確認したうえ、「おまえも革マルか。」「今度はおまえだぞ。おまえも同じ目にあうぞ。」などと申し向け、その生命、身体に危害を加えるような気勢を示して脅迫し、もつて、同職員の職務の執行を妨害したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、(一)被告人の本件逮捕手続には警察官職務執行法二条に規定する職務質問の範囲や方法、その程度を逸脱した不法な有形力の行使や身柄の拘束が行われた重大な違法があり、この手続違背は刑事訴訟法二一二条、二一七条(当初の嫌疑は鉄道営業法違反の罪)に違反するに止まらず、憲法三一条にも違反するものであるから、これを前提とする本件公訴提起は刑事訴訟法三三八条四号を準用して公訴棄却されるべきである、(二)また、本件公訴提起は、検察官が被告人に対し悪意又は政治的弾圧を加える目的をもつてなしたものであるから公訴権の濫用であり公訴棄却されるべきである、(三)さらに、公務執行妨害罪の手段としての脅迫は公務員の職務の執行を妨害しうる程度のものであることを要するところ、本件脅迫行為は公務員が意に介さない程度の軽微なものであり、公務執行妨害罪には該当しないから、本件は起訴状に記載された事実が真実であつても何らの罪となるべき事実を包含していないとき又は被告事件が罪とならないときに当たり公訴棄却又は無罪とすべきである旨、縷々主張するので、以下、当裁判所の判断を示すこととする。

一はじめに、弁護人の主張(一)について検討するに、関係各証拠によれば、被告人が現行犯人として逮捕されるまでの経過として、次の事実を認めることができる。

1  警視庁上野警察署に勤務する井上健巡査部長は、昭和六一年九月九日午後五時一七分ころ、鉄道公安官から中核派の者三名が国鉄上野駅公園口でビラを配布しているとの通報を受けたので私服で上野駅に向かい、午後五時二五分ころ最寄りの同駅一階にある浅草口に到着した。そして、駅構内に入る階段を昇つて行つたところ、折から同所にある別の階段を黒縁の眼鏡をかけ、白い半袖シャツを着て黒短靴を履き、茶色の紙袋を持つた三〇才位の一見サラリーマン風の男(被告人)が降りてきて階段の下にいた灰色のシャツを着て運動靴を履いた二〇才位の一見活動家風の男(後にBと判明、以下「B」という。)ともう一人いた白つぽいジャンパーを着た男(後にAと判明、以下「A」という。)と合流するのを目撃した。同巡査部長は、右三名の服装・年令・所持品等から同人らが通報のあつた三名ではないかと直感し、直ちに三名を追尾したところ、右三名は浅草口から同駅の中央口に通ずる通路を通り、要員機動センターや人材活用センターに通ずる階段の付近で突然散開するなどの不審な挙動に出たため、同巡査部長は先に通報を受けた時点ではビラの配布についての鉄道営業法違反の嫌疑を抱いていたが、右三名の者が真国労所属の国鉄職員を襲撃するための訓練ないし準備あるいは調査活動をやつているのではないかと考え、三名に対して職務質問を行うべく、近くの同駅派出所に応援を求めて午後五時二七、八分ころ同派出所の藤原巡査とともに同駅中央改札口前の中央広場(コンコース)にある売店付近にたむろしていた三名のところへ行き、警察手帳を示したうえ、まず被告人とBに対して「恐縮ですが、上野駅で何をしているんですか。」「身分を確認できるものを見せていただけないでしようか。」などと言つて声をかけ、また、少し離れた所にいたAに対しても声をかけて職務質問を開始した。

2  しかし三名は、同巡査部長の質問には全く答えようとせず、逆に同巡査部長に対して質問の目的を明らかにするように求めたり、あるいは「見せる必要はない」「任意か強制か」「急いでいる」「買物したいから」などと述べてその場から徐々に同駅広小路口の方向へ移動し始めたので、同巡査部長はその都度被告人らの前に立ち塞がるなどしてその場に停止させて質問をくり返し、また、近くの派出所まで一緒に行くよう求めるなどしたが、三名は「その必要はない」「怪しいものではない」などと答えるのみでこれに応じようとはしなかつた。そしてこの間、Bが被告人から手渡された紙袋を持つて駆け出し、同巡査部長がこれを追いかけてBの左手をつかまえて「元の持主に返しなさい」と言つて被告人に戻させるということがあつたほかは、被告人らにおいて特に走つて逃げ出す等の行為に出ることはなかつた。

3  同巡査部長は被告人らと前示のような押問答を十数分間にわたつてくり返していたが、やがて被告人が突然「協力します」と言つて派出所まで行くことを承諾する意思を表示したので、その場へ駆けつけた警察官二名とともに被告人とAを同駅派出所に同行し、午後五時四五分ころ一行は同派出所に到着した。なお、被告人を派出所に同行する途中、同巡査部長は同道した警察官から被告人らが手配のあつたビラ配りをした男らに間違いないとの報告を受け、同巡査部長自身もそのように考えたが、その場で逮捕行為には着手しなかつた。

4  派出所に到着後、同巡査部長らは奥の待機所で被告人とAを椅子にかけさせ、再度当初と同じような内容の質問を開始したが、被告人らは前同様質問に応ずる気配を見せなかつた。しかし同巡査部長が根気強く説得を続けるうち、被告人は「勝手に見ろよ」と言つて所持していた紙袋の中を見ることをしぶしぶ承諾したので、同巡査部長が「見てもよいか」と言つて念を押したうえ紙袋の中をあらためたところ、中には「革マル松崎をせん滅せよ」などと書かれた中核派のビラ二枚が入つた茶封筒十数通が入つていることが確認された。

5  その後、午後六時ころになつて先に被告人らが派出所に同行される前に買物に行くと言つて別れたBが警察官に同行されて同派出所内に入つてきたので、同巡査部長らはBを含む被告人ら三名に対して引き続きその氏名等を明らかにするよう説得を続けていたが、その一方で上司の指示を仰いでビラの配布を受けた者による被告人らの面通しやビラの配布につき駅管理者から許可が降りていないことなどを確認する手続を行つていた。そのうえで、午後六時三四分ころ、同巡査部長らは被告人らに対し建造物侵入罪で逮捕する旨告げて派出所内で三名を現行犯逮捕し、その場で所持品検査をしたうえ上野警察署へ連行した。なお被告人らは同派出所内で職務質問を受けている間、「弁護人を呼んでくれ」と言つたり、「帰らしてくれ」と言つて席を立つたことがあつたが、その都度同巡査部長らから「捜査に協力して欲しい」と言われて説得され、結局同派出所内に留まつていたもので、この間、同派出所内には同巡査部長を含めて五、六名の警察官がおり右の職務質問やその他の事務に携わつていたが、これらの警察官から、直接・間接を問わず被告人らの意思を制圧するような有形力の行使がなされたことは一切なかつた。

以上の事実が認められ、被告人及び証人Bの当公判廷における各供述中右認定に反するか又は反するかの如き部分は証人井上健の当公判廷における供述に比較すると、にわかには措信し難い。もつとも、仮に派出所への同行を求める際に井上巡査部長が被告人の肩をつかんでいたとか、あるいは派出所内において外部に通ずる通路に警察官が立ちはだかつて塞いでいたとかの事実があつたとしても、前示のとおり、それらは被告人らの意思を制圧するには至らない程度のものと認められるのであつて、右程度の有形力(それがさほど強いものでなかつたことは被告人の供述から明らかである)の行使は、当時捜査官が嫌疑を抱いていた事案の性質や内容、また前記認定のような本件職務質問のなされた際の被告人らの言動等に照らしてみると、職務質問を実施するに当たり許容される範囲内のものというべきである。

しかして、前記認定の事実によれば、上野駅公園口で中核派がビラ配りをしているとの通報を受けて同駅構内に急行した井上巡査部長が、同駅構内で被告人らを発見して職務質問を開始し、その後同駅派出所に同行を求めて被告人が多数のビラを所持していることや駅構内でビラを配布するにつき駅管理者の許可を受けていなかつたことなどを確認した後、被告人を建造物侵入罪の現行犯人と断定して逮捕に至つた本件一連の手続は、なるほど本件逮捕が行われたのが被告人らがビラを配布していた時から起算して約一時間十数分経過した後であつたとしても、その間捜査官らは場所を移動しながらも職務質問を続け、あるいはこれに応ずるように説得を続けるとともに、一方で万一の誤認逮捕等を慮つて犯罪事実自体の存在とその明白性を確認するための措置をとつていたという事情があり、また逮捕の場所も犯行場所と同じ同駅構内にある前記派出所内で、かつ、職務質問を開始した地点から正確な距離は詳らかでないが極めて近い場所であつて、時間的にも場所的にも接着していたこと等の事情を考えると、現行犯人逮捕の要件に欠けるところはなく、適法かつ相当であつたというべきであり、毫も違法のかどはない。したがつて、弁護人の主張はその前提を欠き、採用することはできない。

二次に、弁護人の主張(二)について検討するのに、本件全証拠によつても、弁護人が主張するような検察官の悪意ないし政治的な弾圧目的があつたことを窺わせる事情は、毫も認められないから、右主張はその前提を欠き、失当というほかはなく、採用の限りではない。

三さらに、弁護人の主張(三)につき検討するに、なるほど、本件脅迫行為の直後の実行行為担当者である前記Aとその相手方である甲野一郎とはこれまで一面識もなく、本件犯行時刻は平日夕方のいわゆるラッシュアワー時で、犯行現場付近はかなりの乗降客で混雑しており、また、本件脅迫行為は判示のとおりであつて、必ずしも執拗になされたものではなく、さらに右甲野の職務の執行が現実に妨害されるとの結果を生じたわけでもなかつたことが認められるけれども、被告人らの本件脅迫行為は、いわゆる中核派と真国労とが国鉄分割民営化問題を巡り運動方針を異にしていたところ、本件犯行の約一週間前には同組合の幹部らが同派に属すると思われる氏名不詳者らによつて襲撃され、一名が死亡し、八名が重軽傷を負つたという事件が発生したことが新聞紙上やテレビ等を通じて広く報道され、国鉄職員らの間に周知の事実となつていたことを前提としたうえで、前記甲野に対し、同人が真国労に属することを確認し、約一週間前の右襲撃と同様の害悪を加えるかもしれない旨述べたというのであつて、しかも現実に右甲野自身その旨畏怖していることなどを併せ考えれば、本件脅迫行為は公務員の職務の執行を妨害するに足りる程度のものであるといつて差し支えなく、弁護人の右主張も採用することができない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法六〇条、九五条一項に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、判示のとおり、中核派に所属すると思われる者が真国労の組合幹部らを襲撃して死傷者多数を出したという事件が報道された後間もなく、同派に所属する被告人が、真国労所属の国鉄職員を脅迫してその職務の執行を妨害したという公務執行妨害事犯であるが、被告人自身、直後の実行行為を担当しなかつたとはいえ、背後にあつて終始共犯者らを指揮していたもので、本件犯行の主謀者と目されるものであるうえ、当公判廷においても、被告人は自己の行為の正当性を声高に主張するのみで、本件加害行為を受けた被害者を思い遣る言葉は一片もなく、その独善的かつ偏狭な態度からは反省の色を微塵も窺うことができず、犯情は誠に芳しくない。

しかしながら、本件はその動機において被告人の私利私欲に出たものではないこと、本件犯行それ自体は必ずしも執拗なものではなく、また、現実に公務の執行が妨害されるという結果が発生するまでには至らなかつたこと、被告人には現時点において執行猶予を付するのに妨げとなる前科はないことなどの事情も認めることができるので、これらの情状を彼此勘案し、今回に限り、刑の執行を猶予することとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官島田仁郎 裁判官川上拓一 裁判官吉村典晃)

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